どうも、solobochiのbochiです。
タイトルの通りですが、
「好きな人と、好きな事して、生きていきたい」と強く思う。
これについてつらつらと書きます。
目次
1.思うこと
「好きな人と、好きなことして、生きる」
「好きな人と、好きなことで、稼ぐ」
「好きな人、visionを共有した人と、働く」
全部同じことだけど、最近はこんなことを考えている。
休職する少し前くらいからずっと思っていたこと。
逆に言うと、以前の職場ではこれが実現できないと悟ったので休職するに至ったとも言える。
ただお金を効率的に稼ぐために、そのためだけに集まった組織では、到底実現不可能だった。
他の多くの日系大企業と同じように、ほぼ全ての現場社員は、visionを持って働いてはいなかった。
それどころか、そもそも中長期的なやりたいことなんて無い。
というか、あったとしても叶わない。
来年自分が何をしているのかすら個人に裁量はない。
いち個人がどんなに拒んだとしても、組織の長たる上司が各部署・各課での仕事の割り振りに関して強制的にアサインできてしまうから。
そんな環境でモチベーションは上がるはずもないけれどそれが組織にとっては最も効率的に売上を上げるための方法とされていることから、こういった構図になっている企業が多い。
そういった環境で我慢して耐えて社会人をやってきた反動から、「好きな人と、好きな事して、生きたい」と思うようになった。
2.社会人生活で感じてきた違和感
改めて10年間を振り返ってみると、本当に日々馬車馬のように働いてきたなと思う。
どこも同じだと思うけれど最初の5年は慣れるのに必死で日々の生活に精神的にも肉体的にも余裕は全くなく、朝から晩まで土日までがむしゃらに働いた。今思うと、22〜27っていう良い時期を仕事に、会社に、捧げてきたと思うと、若干切なくもなる。
言っても当時は大企業に行かない選択肢はまだハイリスクだと思っていたし、今ほど再起が易しい時代では無かったと思っていたので、他に選択肢は無いという思いで会社にしがみついていた。今思えばただの情報弱者でしかない。今みたいに誰でも、それこそ若手社会人も大学生も、なんだったら高校生・中学生だって、第一線の企業家の考えていることや、最前線の学者の研究にアクセスできるのは素晴らしい。もちろん時代は進歩し続けているし、進歩し続けていくのだから、より遅く生まれたかったという思いは永遠に誰もが思うことなのだろうけれど、それでも分かっていても思わざるを得ない。
それでも5年目くらいで気付けていればまだ良かっただろうという後悔はある。後悔する余地があるのは逆に言えば気付けた可能性があったということ。当時は幸か不幸か売り上げも右肩上がりの事業部署にいたこともあって仕事が絶えることなく、5年目以降も日々ずっと忙しく、早朝から深夜まで働き詰めの日々で、そのうちそれが当たり前の感覚になってしまうと気晴らしはたまにある飲み会と土日にダラダラ過ごすことくらいになり、外に目を向ける余裕が全く無かった。自分の場合は7年目くらいの時に運よく少し落ち着いて取り組める事業へ配属されたことがきっかけで、外に目を向けることができたので、そのたった1度の機会を逃さず、そこから一気に世界が広がって視野も広がったわけだけど、そういうきっかけが無いと何も知らない情報弱者のまま「自分は何もできない」、「外に行っても通用するわけない」と諦めてしまって、結果として、大学3年生で何も知らないままに入った会社に一生身をゆだね、骨を埋めることになるのだろう。
ところで日本では、学生で社会のことをほぼ何も知らない状態でたまたま入った会社で40年間勤め上げる人が海外に比べると異常に多いらしい。2年前のデータで大企業では離職率5%以下の企業が100社以上あった。大企業の離職率の低さは本当に異常だと思う。実際のところ入社してから5年、10年経ってやっている仕事を事前にイメージすることができていて本当にやりたいと思って入社した人間がどれほどいるのか。ほぼゼロだと思う。特に大企業では、誰がやっても回るように効率化・組織化されているためにそれによって組織としては安定して売上を伸ばすことができるが、その一方で個人のスキルは伸びづらいようになっている。これはどうしてもトレードオフの関係になってしまっている。そんな仕事をするために入ったという人はほとんどいないわけだけれど、安定した給料のために同じ仕事をやり続け、飲み会で不満を言い合って定年まで勤め上げる人生でも、満足する人はとても多い。いわゆる、結婚・出産・マイホーム・定年退職という昔ながらの高度経済成長期に作られた伝統的な幸せを追い求める人たちが本当に多い。目に見える範囲において、すなわち同じ会社のなかではそれが当たり前なので、全く疑問には思わずに勤め上げる、マシン化された人たち。恐ろしくもあり、可哀想でもある。一概に否定はしないけれども、無数にある選択肢の中から本当に検討した上で選択しているのかは疑問を抱く。もちろん無知ゆえの幸せという側面は大いにあるとは思う。いろいろなことを知って、選択肢が増えると、その分悩みも増えるので、いっそ知らない方が楽だった、ということになるので、この点はどちらが幸せかは一概には難しい。
翻って、思い返せば、ほんの少しのきっかけで、ほんの少しだけでも外に目を向けて、そこで刺激を受けてアンテナを張れるようになっただけで、そこから世界は連鎖的に一気に広がっていったように思う。アンテナを張ること、刺さることを入れる、自ら刺激を受けにいくことがとても大事だと感じている。無料でいくらでもセミナーやカンファレンスはあるけれど、そういった場にいくことをする人は限りなく少ない。これは大企業で日々目の前の仕事に追われて余裕がないことの大きな弊害だと思う。そして尚且つ視野が狭いために、内輪で争うことしかできない。そもそも人類の習性として、いつでも常に敵を作りたがるというものがあるらしく、本来であれば海外との競争に持っていくべき、そこまで見据えることが難しくても、せめて国内同業との戦いに意識を向けるべきところ、実情は、国内でもなく、同業でもなく、他社でもなく、社内の横の部署や横の事業との覇権争いに溺れるばかりで、本当にもったいないと思う。外の世界が視界に入っていないのだから、当然といえば当然のこと。
視野の狭さと似た話で、チャレンジできないという話もある。新たなチャレンジを全くしない、できないのが大企業の現場だと思う。常に、過去実績の有無を気にしていて、何か新しいことの提案をしようものなら上司の質問の半数は、「過去実績と比較してどうか」、「過去前例のあるやり方なのか」といったものに終始している。これは、実績のないやり方をして失敗した時に責任を取りたくないからというのが背景にある。そしてどうして責任を取りたがらないマインドになってしまうのかというと、企業における評価が減点法になっているからだろう。出世のためには一度もミスをせずにコツコツと実績を積み重ねていくことが求められる。グローバルのトレンドでは、より多くのチャレンジをしてより多くの失敗をしたものこそ評価されるという風潮もあるが、日本の大企業においてはいまだに減点での評価になっていることからくるマインドであり、評価の仕組みに合わせて社員の行動も、文化も変わっていくことから、チャレンジせず小さく縮こまってしまうのも必然だと感じている。せっかく個々人は優秀なのにも関わらず、制度や組織によって徐々に飼い慣らされて、社内政治力のみが身につき、社外では市場価値がない人材へと育て上げられてしまう。
せっかく元々は優秀な人材であるにも関わらず、社会に出て会社に入り組織に順応していくことで、チャレンジできず社内政治力と高尚なプライドを身につけ、誰にでもできるように仕組みかされて代替可能な仕事を日々行う"マシン"になってしまう傾向は、大企業でより顕著だろう。これは日本の教育における"優秀さ"それ自体がこのような"マシン"化されるために適した人材を育てるようなプログラムになっているためだ。例えば国語の授業では登場人物の気持ちを答えることで空気が読めて忖度できる人材を育てる。算数では答えが決まっている穴埋め問題を機械のごとく反復して計算練習をする。理科・社会はネットで調べれば事足りるような知識をひたすら暗記し詰め込む教育。これらの教育プログラムの評価軸において"優秀"な人材が、高校、大学、大企業でセレクションされていく。評価軸がズレていればそれだけズレた人材が輩出されてしまう。そしてこの教育プログラムにおいて優秀と評価された人材が大企業により多く採用される傾向にあるため、大企業においてよりマシン化されやすい人材が実際に"マシン"になっていく。
話が逸れてしまったけれど、残念ながらやはり私が在籍した大企業においても状況は同じで、それはもうどうにもどうしようもないことだった。基本的に地頭は良いので頭ではなんとなく、組織の効率化のために個人の成長が阻害されている状況に気づいてはいるものの、だからといって何ができるわけでもなく、給料のためにひたすらに、文句を言いながらも、目の前の雑務に忙殺されるままに日々を過ごしていくことを受け入れて高尚なプライドと政治力をつけて定年まで過ごすのか、はたまたチャレンジするために転職するか、どちらかに分かれるようだった。特にここ一年くらいこの傾向が顕著で、優秀な若手や同期ほど辞めていった。
こういった状況で、このままここにいてはダメになってしまうとの思いも当時のストレスの一因となり、休職に至ったのだと思われる。
少し取り止めもなく長くなってしまったので続きは別記事で。
その2へ続く。
続き↓
以上